修士課程を卒業できた!!でも、今までの人生でこれほどぐっとこない卒業はなかった
桜の開花情報をニュースで聞く時期になりましたね。どうも僕です。
はてなブログの今週のお題が「卒業」ということで乗っかっちゃいます。
修士課程に在籍して3年、ついに卒業することと相成りました。
卒業できることになったのはいいんですが、今までに経験してきた卒業とは異なる心情になっています。
卒業することについて、ぐっとくるものが無いのです。
今までの学生生活の中でこんなにぐっとこない卒業はありませんでした。
僕は今までに5回の卒業を経験しています。保育園、小学校、中学校、高校、大学、それぞれ状況は異なりますが、総じてぐっとくるものがありました。
「ぐっとくる」という表現はとても抽象的です。「ぐっとくる」の中身は、寂しさや不安や安堵や期待なんかが混ぜこぜになっている感じだと思ってください。今まで一緒にいた友達との別れ、卒業出来たことに対する達成感、これからどんなことがあるのだろうというワクワクと、うまくやっていけるかという不安などなど。まあ、これらの言葉も抽象的ですが、まだわかりやすいんじゃないでしょうか。
今回の卒業においては、このぐっとくる感じがありません。
今の僕にあるのは虚無感のみです。
修士課程を卒業できたことが嬉しくないわけではありません。そりゃあ、それなりの達成感はありますよ。
だけど、今の僕にはなにもないんです。
金もない。仕事もない。スキルもない。
あるのは修士課程の修了証だけ。
さあ、これからどうしたものか。
知人にフォローされたからフォロー返ししたいんだ・・・ -修論発表後に先生と話してたら泣いてしまった話-
修士論文の研究発表が終わりました。(復学して修論発表をしてきたんだけど・・・ ー他人に評価されるときはうだうだしててもしかたないー)
発表後に、所属している研究科の先生と話す機会があり、こんなことを言われました。
「しんどい時とかどうしようも無いときは周りの人を頼ればいいんだよ」
泣きました。その場で。
全自分が泣いた。(全米が泣いた風に言ってると思ってください)
約100兆個の細胞全て使って泣いた。
※誇張しすぎたので訂正させていただきました。
不登校になってから、自分の周りの色々な人に頼って迷惑をかけてきました。そのことを考えると、いてもたってもいられなくなってしまうので「こんな状態なんだからしかたない」と自分に言い聞かせてきました。
だけど、迷惑をかけていることをしょうがないことだと思えず、苦しんでいました。(ホントに自分勝手ですけどね)
そんな状態でこの言葉をいただいたので泣いてしまいした。
人前で泣いてしまうなんて不登校になってカウンセラーさんの前で泣いてしまった時以来だったから非常に恥ずかしかったです。(あれ、結構頻繁に泣いてるかも・・・)
恥ずかしいから涙を止めようとするんですが、アタマのどこかがぷつんと切れちゃったせいか涙が止まりませんでした。
自分が迷惑をかけた人には本当に感謝しても感謝しきれません。両親、祖父母、兄弟、彼女、学校の先生方、研究室の友達、本当にすみませんでした。そしてありがとうございました。
ブログで書いてもしかたないので、実際に会ってお礼を言おうと思います。
お礼を言ったとしても、今までに自分が押し付けてしまった迷惑は返品がききません。返してもらいたくても返してもらえません。
だからこそ、周りの人が苦しんでいるとき、どうしようもなくなっているときには僕が周りの人にされたように、少しだけでもフォロー出来るようになりたい。
復学して修論発表をしてきたんだけど・・・ ー他人に評価されるときはうだうだしててもしかたないー
2月の某日に修論発表をしました。
後期に入ってからは大学院にあまり行けてなかったのですが、一昨年の12月までの研究成果を元に書きました。後期に入ってから研究が全く進んでいなかったため、こんな研究結果では修士論文なんてかける気がしないし、自分のダメさが際立って修士論文は書きたくないなんて思っていました。
そんなことを思いながら指導教員に相談した所、今までの研究についてまとめれば卒業だけは出来るかもということで修士論文をまとめることにしました。
でも、こんなんで修士課程を卒業していいものかとか考えちゃうんです。
しかし、今の自分には卒業を辞退するような勇気も留年する勇気もありません。
修了というエサを鼻先に吊り下げられた駄馬みたいなもんです。
カウンセラーの方からはもらえるもんは貰えばいいんだよと言われますが、自分ではうまいこと飲み込めずにいました。
そんなことを考えながらも、提出日までに修士論文をまとめ、粛々と発表の準備をし、発表に関しては何事も無く終わることが出来ました。
あれっ、あっけない。
まあ、今の私の状態を加味されて甘くなっているのかもしれませんが、それにしてもあっけない。
修了させるかどうかを審査する人に要件を満たしていると判断されれば、自分で修士課程を修了する水準に達していないと思っていたとしても、修了はできるんですよね。
逆に自分で満たしていると思ったとしても、審査する人にダメだと思われれば修了出来ないし。まあ、よく考えなくても当たり前のことですよね。僕は経験しないとわかりませんでしたが。
卒業出来るか出来ないかは自分で決められない。自分で評価して決めるのもいいけど、自分に決定権が無いことは悩んでもしかたない。自分でダメだと思っていても、必要な水準に達している時もある。
だからこそ、他人に評価が委ねられているときは、やるだけやってみてダメならダメでしかたない。うまくいったら儲けもん。って考えると、いろんなことにチャレンジしやすくなるんじゃないかなと思いました。
こんなふうに思ったけど、書いたみたいに考えられるようになれたらいいな。
手を動かしながらだと思考の連続性が途切れるんだけど、なんか良い策は無いものか・・・なんて思いながらカタカタやってたら解決した話
僕はよく物思いにふけるんですが、その時に考えていたことをすぐに忘れてしまいます。
考えてることって色々あるんですが、あることを考えているとまた違うこととの共通点が浮かんできたりして、またそのことについて考えます。
いろいろ考えて、「あっ、この考え方いいな!!」って思うんですが、メモに取ろうとすると今まで考えていたことがよくわからなくなったりします。
ひどいときは、メモを取るために紙と鉛筆を用意する間に忘れてしまうんですよね。
そんな時はこう叫びます・・・
「なんて日だ!!!」
まあ、近所迷惑なので叫んでは無いんですが。
ペンと紙を持ってくる間に忘れてしまうんなら、持った状態で逐一書き込んでいこうと思ったんです。だけどペンを持って考えていると全然考えが浮かんでこないんですよ。
マインドマップとか書くのがいいって話を聞いて試してみたけど、書く単語よりも線の配置とか気にして思考が途切れちゃうんです。
そんで今は、紙とペンをパソコンに変えてブログを書きながら考えられるか試してます。
考えるのがはかどる時の自分の状態について考えてみました。
はかどる時
- ベッドに入って寝る直前
- お風呂に入っている時
- ソファーでボーっとしている時
こんな状態の時にはかどります。
ってことは、総じて考えるのがはかどる時はリラックスしているときなんですよね。
もしかしたら、紙とペンを持っているのが緊張状態にあたるのかもと思います。
僕の経験上、緊張する時ってそのことに慣れてない時なんですよ。
マインドマップなら考えながら線を配置することに対する慣れ、メモをとるならメモを取りながら考えることに対する慣れが足りないせいで、緊張状態になってしまってるんだと思います。
その状態に慣れることで、文字を書きながらでも考えることができるようになるかもしれません。
なんて言ってる間に・・・
すらすらパソコン上に考えたことがメモとして残っていってます。
この記事書くために思いついたままに入力していったら、メモになってます。
ということで、僕にはパソコンで何か考えたことを考えた順に乱雑でもいいからを書き記すことが一番いいんだと気づいたというお話でした。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・・・
ポイズン。
失敗するのがこわい、でもホントは何もしたくないから失敗するのがこわいとか理由づけしてるのかも
失敗するのが恐いのです。
どうしようもなく恐いのです。
もうすでに去年失敗しています。
今までの人生で犯してきた失敗の何倍もダメージのあった失敗です。
今の僕は去年失敗したところから動けていません。
多分。
なんか新しく始めてみたりはちょっとですがしています。
でも、それもただ単に自分が今おかれている状況から少しでも目を背けようとしているだけの気がしてなりません。
今の状況のまま、なにもしなければ、また同じ失敗を繰り返してしまうのは目に見えています。
でも、やりません。
ホントはなにもしたくないのかもしれませんね。
なんかわかんないけど歯を噛みしめる癖がある
最近気づいたのですが、気づくと歯を噛み締めています。
なぜなんだ??
いつから歯を噛みしめるようになったんだろ?
一般的に人が歯を噛みしめるときは何かしら体に力を入れる時だと思うんですが、そういったこともありません。
ということでweb上で調べてみるとこんな記事が・・・
歯を食いしばる原因はストレス~NHKガッテンウォッチング27|Natural&Nationalのブログ
ストレスが原因なんだろうか??
でも、最近は修士論文を書く以外にストレスを感じることも無いし、一昨年にストレス感じてた時の名残で集中している時に噛んじゃうのかな?
歯を食いしばると、首とか肩とかに力が入っちゃって疲れちゃう。
できるだけやらないように気をつけよう。