えーと、バイトの面接落ちました。でも、人間的に強くなってると実感できたからいいとしよう・・・なんて、自分に言い聞かした話
バイトの面接に落ちたorz
バイトの面接に落ちたのは人生で2回目なんですよね。
過去に就職活動した時にはめちゃくちゃ落とされたんですけどね。
しかし、バイトに落ちるとは。
プログラマのバイトに申し込んだんですけど、今までにほとんど触ったことのない言語のプログラマに応募したんでそのせいかもしれません。もしかしたら、人間性に難あり思われた可能性もありますがwwww
未経験okの求人で開発に使う言語も、別にそんなに知らなくていいよってことだったんで、これならいけるんじゃないかと思ってたんですけどねー
淡い期待はことごとく打ち破られました。
まあ、その会社に落とされた事自体は別に気にしてないんですよ。
食い扶持が確保出来なかったのは痛いですけど。
今までに面接に落ちた時には結構ショックを受けてたんですが、今回はさほど思い悩んでないんです。てか、逆に全然ショックを受けてない自分にびっくりしてるくらいです。
不登校になってからだいぶ考え方が変わったせいだと思います。
不登校になる以前は、なんか人として自分はこうあらなきゃいけないっていう考えが強かった気がするんですけど、少し柔軟になってる気がします。まあ、まだまだ凝り固まってる気はしますが、少しずつ緩まってます。
人間的に強くなってイケてるんじゃないでしょうかこれは。
柔軟だということは強いということですよ。多分。
喧嘩中に自分がしようとしてたのが喧嘩じゃなくて議論だった話 ー喧嘩中に相手が罵ってくる理由ー
この間、友達と飲んでいる時に、前々から疑問に思っていたことを相談してみました。
人は喧嘩している時に何故罵ってくるのかということです。
僕は、誰かと喧嘩するという経験が乏しいのですが、僕も人間です、今までに喧嘩したことがいくらかあります。
喧嘩している時に僕は相手を罵らないようにしているんです。相手を罵ることによって相手にも自分にもなんのメリットもないと思っているからです。
ですが、互いの意見を主張する中で、意見の出し合いがヒートアップしてくると喧嘩相手は僕を罵ってくることが多々ありました。アホだとか馬鹿だとかなんか色々。
僕も人間ですから、そんなこと言われたら腹がたちます。そこで喧嘩相手に、「なぜそう思ったのか」、「なぜ相手を侮辱するようなことを言うのか」を問いただすんですが、大体は再度侮辱的な言葉で返されたり、そんな質問をするところがバカ(この時のパターンは色々あってアホとかクズとか色々)なんて言われて具体的な指摘がありません。そんな状態になるとあとは罵ってくるばかりです。
僕に相手の意見を汲み取る能力が乏しいせいで、相手のいっていることがよくわからずこんな状態になるのかななんて思っていたんですが、やはり喧嘩相手を罵りながら喧嘩することで何のメリットがあるのかよくわからなかったんです。
そこで、第三者の意見を聞いてみようと思い、飲んでいる席ではありますが、悩み相談という形で友達に聞いてみました。
この問について、友達から一言。
「お前は喧嘩したら一番めんどくさいタイプだ。」
なんですと?!
これはどうしたものか?どうしてだ?!と思ったので、理由を聞いてみました。
友達の言うところによると、喧嘩ってのは別に問題解決のためにすることではなく、自分の不満を相手にぶつけて鬱憤を晴らすためのものだというのです。
「喧嘩相手は、別に何か問題を解決したいと思っておらず、自分の鬱憤をはらすためにお前に対して、自分の意見を主張してきている。相手はお前の問いかけに対して回答せず、自分の意見に対して疑問を投げかけられることで、最終的にイライラがつのり、罵るようになるのだ。」
ということらしいです。
どっひゃーーー。目から鱗。
喧嘩している時に、着地点がよくわかんないなーって感じていたんですが、友達の意見を聞いてみて合点がいきました。
喧嘩は、お互いの落とし所を見つけるためにするもんだと僕は思っていたんです。
でもそれは喧嘩をしようとしていたんじゃなくて、どっちかというと議論をしようとしてたんですねー。
相手のやりたいことと僕のやりたいことに食い違いがあったんです。
そりゃ、鬱憤晴らすのが目的なら罵るようになるわ。
疑問解消!!!
しかし、友達の言うように喧嘩が相手の鬱憤を晴らすためのものであるならば、自分にあるメリットは、なんか気に食わないところがあるということを知ることができるだけです。
それなら、今後喧嘩っぽいなと思ったら、相手の意見を聞いてみて、確かにそうだと思ったことだけ参考にしようかな。疑問に思ったことを相手に聞いてもその回答が得られないなら、質問する意味無いですから。ながながとしゃべるのも疲れますしね。
だけど、この友達の意見を聞いて新たな疑問が生まれました。
相手のスタンスを見極め、喧嘩したいのか議論したいのかを判断する方法についてです。
まあ、話の流れで判断すればいいか。
無職なのに意識高い系になったった!! ー自分の仕事に対する考えをまとめたら壮大すぎて吐き気をもよおした話ー
3週間前に、こんなのを書きました。
自分が仕事に求めることが青臭くって恥ずかしいんだけど、こういう思いは大切なような気がする。
この3週間前の記事でよくわかってなかった思いについてまとめてみました。
前のエントリーで列挙した仕事に求めること
読み返してみたら、こんなことを書いてました。
- お金のある人にそれ以上お金を増やしてもらいたいわけじゃない
- 身近な人に豊かになってほしい
- 自分で作ったものを使ってほしい、てか自分でなんか作りたい
これらの思いについて更に掘り下げて考えてみたところ、自分のやりたいことについて根本的な考え方が見えてきました。
今の僕にはお金がありません。だからお金のない人の気持ちがよくわかります。
お金が無いと心の余裕がほとんどなくなるんです。*1
お金のある人には、それはそれで色々と悩みはあるんでしょうけど、無いよりはある程度あったほうが心配事は減ります。
お金のない人にお金が回れば、心の余裕が保たれていろんなことが解決すると思うんです。←曖昧な表現や論理の飛躍について深くお詫び申し上げます。
でも、何もしないでお金が回るってことは無いんです。お金ってのは価値をわかりやすいように数値化したものですから。
その人の置かれている状況によって、価値をつけるための難易度は異なると思いますが、価値ってつけようと思えば誰でも、なんにでも付けられると思うんです。
価値が上がればお金が増えるはずなんで身の回りの人の行動を促し、価値を高めてもらうことで、より豊かになってもらいたいんですよ。
ここで言う「豊か」という言葉は、金銭的な豊かさと心の豊かさのことです。
家族とか友人とか周りの人たちが豊かになれば自分も嬉しくなります。
身近な人を豊かにしたいということは、自分のいるところを豊かにしたいという思いに結びついています。
自分のいるところという言葉の枠を、家族や友人よりも広い範囲で捉えれば地域や国というくくりになります。
ということで、ゆくゆくは国を豊かにしたい!みたいな!
やばい、これは意識高い系へ足を一歩踏み入れてしまったんじゃなかろうか!?!?
最終的に意識が高くなってしまいましたが、これは妄想をふくらませすぎました。先行きが不安すぎて吐きそうになってきました。
最終的な結論としては、自分で価値を創出する力を養い、身近なところの価値を上げるような仕事がしたいということです。
まあ、まだ私にはスキルも経験も無いので、自分の価値を高めるところから始めてみます。
やりたいこと、やれること、やらなくてはいけないことを整理して優先順位をつけよう・・・
*1:おまえじゃあどうやって生活してんだよってなるかたがいらっしゃると思うんですが、今の生活費は親に出してもらっています。ホント恵まれていますね僕は。
自分が仕事に求めることが青臭くって恥ずかしいんだけど、こういう思いは大切なような気がする。
ある人に無職だと言ったら、どんな仕事がしたいのか聞かれたので僕はこう言いました。
「人の役に立つ仕事がしたいです!!」
みんなぽかーーーーん。そして中には鼻で笑う人もいました。
そしてその中の一人にこう言われました。
「どんな仕事でも何かしら人の役にたっているんだよ。」
・・・・・・・・・・・
うん、そうですよね。
そりゃ、お金をもらう代わりにその人の利益になることするんだから当たり前ですよ。
そんなことわかってます!!
そりゃ、人生20数年も生きてきたら仕事の仕組みくらい気づいてますよ。実際に働いたことはバイトくらいしか無いけど。
僕はそういうことを言っているんじゃないんだ!
だけど自分でも自分で思ってることがよくわかってないんです。言われたことに違和感はあるけど、なにが違うのかと聞かれたら答えられません。
僕の想いとしては、 お金のある人にそれ以上お金を増やしてほしいわけじゃないんです。それから身近な人に豊かになってほしいんです。あと、できれば自分で作ったものを使って欲しいんです。
自分で書いててちょっと恥ずかしくなるくらいに青臭いと思いますが、自分がそうしたいんだから仕方ないですよね?
この想いを実現できる仕事ってなんか無いですかね。
しかし、僕は無職の身です。親に仕送りしてもらってます。
これを書いてたら、まずは自立して自分の食い扶持を稼がなきゃいけないのに、何言ってんだって思ってきました。
夢見がちだね。
こんなこと考えてる暇があったら会社さがして、エントリーして、履歴書書いて応募しろ自分!
でも、理想は理想で持ち続けようと思います。
学生からJOBチェンジして無職になりました。そしてこれから・・・
はいどーーーもーーーー
先日、3月31日を持ちまして大学院修士課程を晴れて修了いたしました。
そして華麗なるジョブチェーーーンジ!
無職爆誕!
不登校になってから早いもので一年5ヶ月が経とうとしております。
先日の卒業エントリー(修士課程を卒業できた!!でも、今までの人生でこれほどぐっとこない卒業はなかった)で、今は虚無感しか無いなんてのたまっていましたが、そんなことを言っている場合じゃない!!
そう、僕には何も無いんだ!!
そこから何が生まれる!?
何もないなら、なにか始めなくては!!
ってことで、まずはお金が無いので就職活動します!!(小並感)
やりたいことやるにしろ、生活するにしろ、勉強するにしろ、お金がなければ始まらない!
今までに就職活動は2回やったことあるんです。
一回目はなんか違う感がにじみ出て途中棄権。
二回目は一旦ゴールしたんですが、記録取り消し。(不登校⇒内定取り消しってよくあることですよね?ねぇ!!内定バイバイ・・・)
あの厳しい就職活動を再度やらないといけないかと思うと、ちょっとたじろいでしまいます。
しかーーし、始めてみなけりゃわからない!
既卒1年目の就職活動がどんなもんになるんか見せてやんよ!!
まあ、威勢よく宣言したことはしてみたんですが、就活恐い・・・
修士課程を卒業できた!!でも、今までの人生でこれほどぐっとこない卒業はなかった
桜の開花情報をニュースで聞く時期になりましたね。どうも僕です。
はてなブログの今週のお題が「卒業」ということで乗っかっちゃいます。
修士課程に在籍して3年、ついに卒業することと相成りました。
卒業できることになったのはいいんですが、今までに経験してきた卒業とは異なる心情になっています。
卒業することについて、ぐっとくるものが無いのです。
今までの学生生活の中でこんなにぐっとこない卒業はありませんでした。
僕は今までに5回の卒業を経験しています。保育園、小学校、中学校、高校、大学、それぞれ状況は異なりますが、総じてぐっとくるものがありました。
「ぐっとくる」という表現はとても抽象的です。「ぐっとくる」の中身は、寂しさや不安や安堵や期待なんかが混ぜこぜになっている感じだと思ってください。今まで一緒にいた友達との別れ、卒業出来たことに対する達成感、これからどんなことがあるのだろうというワクワクと、うまくやっていけるかという不安などなど。まあ、これらの言葉も抽象的ですが、まだわかりやすいんじゃないでしょうか。
今回の卒業においては、このぐっとくる感じがありません。
今の僕にあるのは虚無感のみです。
修士課程を卒業できたことが嬉しくないわけではありません。そりゃあ、それなりの達成感はありますよ。
だけど、今の僕にはなにもないんです。
金もない。仕事もない。スキルもない。
あるのは修士課程の修了証だけ。
さあ、これからどうしたものか。